Act.07


 冬馬辰緒(とうまてつお)は、もてる男だった。
 背が高く、がっちりとした、とはいえ筋肉太りはしていないしなやかな体躯に、日本人としては彫りの深めの顔。性格は平和主義そのもの、しかしながら一本筋の通った男としても知られていたので、まさしく男の憧れとも言うべき彼は男にも女にも平等にもてたし、その人数も多かった。
 ただ、そんな彼であるから付き合いの深い友人は一人だけ、演劇部副部長の夏川悠貴だけ、であった。

「冬馬先輩ってカッコいいよな」
 時山の台詞に、秋吉は口に運んでいた箸を止めて彼を見る。見れば時山は普通にしていたので、世間話の一環かと納得して、「うん」と相槌を打つ。
「俺、ああいう男になりてぇなー」
「なれば?」
「…アキ、せめてもう少し心ある応答をしてくれよ…」
 がく、と項垂れる時山を隣に、秋吉は笑いながら面倒だと答えた。それから、時山がそんな風に思っているとは知らなかったとも。
「あれ、話した事なかったっけ?」
「初耳。時山も冬馬先輩に憧れてんの?」
「うん」
「じゃあ話してみる?」
「うん…って、え?」
「副部長に頼めば連れてきてくれると思うけど」
「え?!」
 事も無げに話す秋吉に時山は慌てて、ちょっと待て、手を上げて制する。
「何?」
「そ、そんな急に」
「いいだろ。別に告白するわけじゃなし」
「そうじゃないだろ!大体俺が好きなのはアキだけだっつの!」
 後半は聞き流し、まぁいいじゃないかと秋吉は携帯電話を取り出して既にメールを打ち始めていた。
「アキ、マジか!」
「…送信、っと」
 送っちゃった。折り畳み式の電話を閉じて、けろりと悪びれず言う秋吉に時山は頭を抱え、どうするんだと唸るが、
「いいじゃないか。お近付きになって、カッコよさの秘訣とか教えてもらえば?」
「…他人事だと思って…」
「他人事だし」
「アキには!愛が!無い!」
「あ、返信来た」
 びしーっと指差してくる恋人を無視し、秋吉は震えた携帯電話を開くと、ふんふんと確認し、何事かを打ち込んで送り返す。そして、何と返したのかと窺ってくる時山に「早く食え」とだけ言って弁当に向き直った。
「一時にバスケコート前だから」
「ま、マジ?」
「くどい」
 ああちょっと心の準備が出来ていないんですがアキさん!時山が騒いでいるのを横目に、へーとかふーんとか明らかに聞いていない返答で秋吉は食事を進める。それでも、どうするんだと時山に顔を覗き込まれれば手を休めて、
「食いながら準備すれば」
 と、時山曰くの“とても温かい”台詞を言ってやるのだった。

「あ、いたいた。副部長ーっ」
「…二人とも、ちょっとこっち来い」
「え?でもバスケコートあっち…」
「今、取り込み中なんだ」
 校舎の一棟の裏がバスケコートになっているのだが、その校舎の角の前で待っていた夏川に押されて、何故か物陰に身を潜めることになる。
「何ですか?」
「取り込み中、って…あ」
 コートの方を覗いた時山が声を上げれば、当然秋吉はどうしたと彼に倣い、夏川は見つからなければいいと思っているのか、そういう事だと頷いた。
 バスケコート、ゴール前には、冬馬と女子が一人。つまり、そういう事かと二人は納得した。
 そういえば、ここは校舎裏という事もあってか、告白に使われることも少なくはないと言われていた。ただ、この棟は二年三年の教室と部室で占められているので、秋吉達一年には縁が無い為忘れていたのだ。
「…これがあったからバスケコート前指定したんですか?」
「まぁ、冬馬の都合で悪いとは言っていたが…お前達が来る前には済ませる予定だったんだ」
「や、別にいいんですけど…大丈夫なんすか、覗いてて」
「俺達は噂を流す為に見ている訳じゃないだろう」
 淡々と言われると、それもそうかと納得してしまって、二人は何となく冬馬達の様子を窺う。声はよく聞こえないが、女子生徒が何か言って冬馬がそれに答えていた。
「…付き合えない理由まで説明して、律儀に断るのがあいつのやり方だ」
 気にしているのが伝わったのか、後ろから夏川が口を挟む。思わず振り向いて、はぁと返す時山に彼は何を言うでもなく、見ていればいいと、顎で指し示した。当事者でも無いのに、いいのだろうか。
 しかし目を逸らしていても気になってしまうし、ならばとその言葉に甘えて観察していると、やがて女子生徒は俯き、こちらとは反対側へ駆け出していった。ショックなんだろうなぁ、と秋吉達が考えていると、冬馬はこちら側へ向かって歩いてくる。何となく二人が慌てるのをよそに、落ち着いた夏川は堂々と彼の前に姿を現して、秋吉達のいる方を指差して、「待ったぞ」と言った。
「ああ…ごめん」
「辰緒、それはこいつらに言えよ」
「悪いな、二人共」
 校舎の陰で見えなかったのか、首を傾げるようにして苦笑し謝る冬馬に、とんでもないと時山達は首を振る。
「そんな!こっちこそ急にこんな事!」
「…すみません、失礼かもしれないですが、うっかり、ノリで」
「いや。うっかり、ノリで了解したこっちも悪い。すまない」
 時山が緊張した様子で言い、秋吉が困ったような表情で続き、夏川が言ったところで、冬馬は盛大に吹き出した。なんだそりゃあ。
「新手のコントか何かみたいだな」
「それなら岡田と時山、二人でやった方がいいな」
 言いつつ、夏川は冬馬の隣に並び、だろう?同意を求めて冬馬に視線を遣る。それを受けて彼も秋吉達を眺め、お笑い芸人っていう雰囲気ではないが、二人の方がしっくり来るのは確かだと笑った。
「…じゃなくて冬馬先輩、今日は時山が先輩と話したいって言うから頼んだので、お願いします」
「ああ、…ええと、じゃあとりあえず座るか?」
 それに秋吉が突っ込んで言えば、冬馬は近くに設置してあるテーブルと椅子のセットを指差す。立ち話もなんだからという提案に、四人は揃って席に着く。丁度四人がけのテーブルに、冬馬・夏川、時山・秋吉で向かい合うように座るものだから、最初に気付いた夏川が「これは何の面接だ。俺は降りる」と席を立ったので、「じゃあ俺も。二人ともごゆっくり」などと秋吉も続いてしまった。
「え?!アキ!」
「俺、副部長と部活の話してるからー」
 一つ離れたテーブルに座る夏川と秋吉を見て呆然と見遣る時山に、冬馬は笑って、
「まぁ、別に話すだけだし。いいんじゃないか」
「そ、そうですけど…初対面で放置って、それって、」
 まるでお見合いのような言い草に、冬馬は益々笑う。別に大した事じゃないよ、と。
「ええー…でも俺、冬馬先輩みたいになりたいって思ってて」
「俺?」
「はい。一杯いますよ、冬馬先輩に憧れてる奴」
「それは…」
 困ったなぁ。照れたような笑みを浮かべる冬馬に、時山は溜息を落とす。呆れだとか、マイナス方向のそれではない。ほう、という感嘆のような溜息だ。
「…やっぱ、冬馬先輩って、カッコいいっすよね…」
「え?」
「性格とかも勿論なんですけど、やっぱ、顔からしてカッコいいなって思って」
 そう言われても、冬馬だって困ってしまう。有難うと苦笑いで返して、だけど時山君も格好いい部類に入るんじゃないかと訊ねた。
「それは…こう言うと嫌な奴かもですけど、確かによく言われます…でも」
 そこで無意識に、横―離れたテーブルの秋吉―を眺めて時山は続ける。
「…もっと、いい男になりたいって思うのは、贅沢なんですかね」
 呟くような響きに、一瞬はっとした冬馬は、それからゆっくり微笑んで時山と同じ方を向いて口を開いた。
「時山君は」
「?はい」
「岡田が好きなんだな」
「あ…」
「いいよ、見ていれば分かる。というか…もう付き合ってるか」
 事実を言い当てられて、時山は目に見えて動揺する。うっそ、マジで。心境としてはそういった感じだ。
 初対面でばれるなんて、まさか自分はそれほど判りやすかっただろうか、冷や汗を流し始める彼に、冬馬は慌てなくて大丈夫、片手を軽く上げて制した。
「好きなのは、見れば判るよ。…俺と同じ顔してるから」
「へ」
 時山が見た冬馬はこちらを見ておらず、その視線の先には、夏川がいて、
「と、うま先輩…」
「…詳しく聞きたいか?」
「ええっと、あの、あー…」
「じゃあ聞いてくれよ」
「…スンマセン」
 謝る時山に、理由が無いよと笑って冬馬は独り言のように口を開く。
「俺は悠貴が好きだよ」
「…えと」
「アイツな、下の名前、知らないか。悠貴って言うんだけど、それで、うん。好きなんだ」
「はぁ…」
「それで、悠貴はその事知ってる」
「え?」
「付き合ってはいないぜ、だって悠貴はそういうケがあるわけじゃない」
 時山は複雑そうな表情を見せるが、冬馬は気にするでもなく続ける。
「俺はさ、時山君」
「はい」
「男とか、女とか、それは勿論大切だとは思うけど、どうだっていいとも思うんだ」
「それって」
「何て言うのか…興味が無いんだ。男でも女でも、中身は一緒だろ?例えば、ほら演劇部部長の藤森先輩とか、あれで中身は凄く男らしいじゃないか。そういう事」
 だから、俺は悠貴が好き。微笑う冬馬に、「あの」と時山はおずおず口を開いた。質問があるんですけど。
「何だ?」
「あの、誤解しないで聞いて欲しいんですけど、夏川先輩がどうとか言うんじゃないですが、あの人のどこを好きになったんですか?」
 それは純粋な疑問だった。秋吉から話は聞くし、実際話した事もあるが、そんな特別なものを持った人でもない、と思う。失礼な話ではあるが、冬馬に憧れる時山としては至極真っ当な疑問だ。それにああと頷き、冬馬は、笑みを照れたようなものに変え、
「だって、悠貴はとてもいい性格だよ。それに、美人だ」
 答えを聞いて、時山は困ったように首を傾げる。やはり失礼だとは思うのだが、全くもって理解出来ない。いや、美人だというのは認めてもいい。実際、夏川は綺麗な面立ちだ。だが。それをそのまま冬馬にぶつければ、彼はそれでいいのだと笑う。
「そんなの誰もが判ってみろ、きっと大変じゃないか。俺だけ知っていればいいよ」
 どこか満足そうに目元を緩めるものだから、時山は思わずゴチソウサマデスと呟いた。お粗末様と返し、そして冬馬は、「だからな、時山君」、少し身を乗り出す。
「変なヤキモチ、妬かなくていいぞ、悠貴に」
「へ」
 からりとした笑顔を向けられ、かくんと肩が落ちた。
「…バレてました?」
「そりゃ、な。自分の好きな奴に向いてる感情は把握しちゃうんだな」
 困ったような笑い顔、それを見せられて時山の表情は固まる。気付いて、どうしたと視線を遣ってくる冬馬に、ぼそりと口を開いた。
「…俺、分かってなかったです」
「何を?」
「夏川先輩、秋吉の事後輩として気に入ってるって分かるんですけど、やっぱどっかで変な風に考えちゃって…俺、ダメですね」
 はぁーと長い溜息と共にテーブルに伏せる後輩の頭に、冬馬は微笑ましげに手を置く。別に、それはいいんじゃないか。
「恋人に向く好意を邪推しちゃうのは仕方ないだろ。それは落ち込む事じゃないぜ」
「…そうっすかね」
「そうだって。気にするなよ」
 そのままぐしゃぐしゃと頭を掻き回され、ううと唸りながら時山は顔を上げた。見上げた先には、にっこり笑う冬馬の姿。そんな彼は、尚も続けた。それにな、時山君。
「…もし岡田に気持ちが向くんだったら、同じ男の俺だっていいんだから、俺の方向かす」
 やべぇ、かっちょいい。見上げた先の男を見て、時山は思う。
「やーっぱ…惚れますって、冬馬先輩…」
「悠貴以外に惚れられても困るなぁ」
「…夏川先輩は贅沢者だ」
「そうか?」
「そうっすよ、みんなの憧れ、冬馬先輩から好かれてるってのに…」
「まぁ、相手が俺に限らず、好いてくれている相手を袖にするって言うのは、贅沢な事かもな」
 そうじゃなくて、相手が冬馬先輩だから、っていう話です。とは思ったもののきっとそれも否定されるのが目に見えたので、時山は口を噤んでテーブル上に組んだ腕に顎を乗せて話題を変えた。
「…それで、夏川先輩は何て言ったんですか」
「ん?」
「知ってるって事は、告白したって事ですよね?今の二人の関係って…」
「親友」
 夏川の話だからなのか、幾分楽しげに言われ、時山はうーんと首を傾げる。親友?
「だから、それが悠貴のいいところなんだ」
「いいところ」
 鸚鵡返しの時山に笑って、冬馬はにやにやと続ける。その時を思い出して、面白がっているように見えた。
「告白して、当然俺は“気持ち悪い”とか言われる覚悟もしていた訳だ」
「まぁ、そうっすよね」
「だがな、悠貴ときたら、それを聞いて、…何て言ったと思う?」
「…何て言ったんですか」
「そうか」
「は…?」
「“そうか”って言って、それから少し考えたと思ったら、今度は“お前はホモだったのか?”ってな」
 くくくと笑って、冬馬は額を手で押さえる。全く、面白いだろう?同意を求められるが、時山はどう返していいか解らない。
「俺は違うって答えて、でも悠貴が好きだって繰り返したよ。そうしたらあいつ、“じゃあ頑張って落としてくれ”なんて返しやがる」
「ええっ…」
「…だから、俺は頑張っている最中なんだ」
 零すような微笑は甚く楽しげで、それに何か返すより先に、秋吉達が戻ってきたので時山は口を閉じた。
「もう昼休みが終わるから、そろそろ…」
「何話してたんですか、冬馬先輩」
「男の結束について、だな。岡田も時山君から聞くといい」
「ええー…そんな暑苦しいものいいですよ…」
 遠慮しておきますと笑う秋吉に失礼だなぁと返しながら冬馬が立ち上がるので、時山も少し慌てて続く。その時にふと夏川が目に入って、ああ確かに美人だな、と思った。別に惚れるわけではないけれど、時山には秋吉がいるから興味はないけれど、きっと誰かは見惚れたりするに違いない、と思わされる美人さだった。

「じゃあ副部長、また放課後に」
「ああ」
「またな、時山君」
「あ!有難うございましたっ」
「大袈裟だな」
 頭を下げる時山に苦笑を零し、冬馬は夏川と共に二人へ背を向けた。何となく、その背が校舎内に入るのを見届けてから、秋吉達も自分達の教室へと向かう。
「…で、何話したんだ?」
「何って」
「男の結束、なんてもの話さないだろ?本当は何話したんだよ」
 秋吉に問われた時山は少し考え、それから、

「たった一人の為に青春を捧げる男の話」