Act.05


「好きだ!」
 今日も平和に一日が始まり、平和に告白劇が繰り広げられていた。

「…ええと」
「はいウザイ。はい通行のジャマー」
 そして告白された秋吉が少し困ったように小首を傾げたところで、告白した少年――別宮博司(べっくひろし)――は、秋吉の隣に居た時山に蹴飛ばされ横に転がった。無様かつ見事な程に。
「ななな何をするんだ時山君!」
「うるせぇよ」
 廊下の床に尻餅を付いたまま、ずれた眼鏡を直しつつ見上げてくる別宮に、時山は彼の方を見ないで、ケッと吐き捨てるように呟く。
「…えっと…大丈夫か、別宮」
「秋吉君は優しいな…! まるで天使のようだ、いや、僕にとっては天使みたいなものだが」
「きっしょい。失せてー」
 一応心配して、膝に両手を付いて屈んだ秋吉の手を握る別宮のそれを、時山は無表情に手刀で切った。それに対し別宮はまた何事か喚き、時山は嫌そうに返し、秋吉は困った様子でそれを眺める。
 別宮博司、秋吉達のクラスの委員長。分厚い眼鏡をかけていて成績も良く、いかにもガリ勉、という感じの少年だが、何をどう間違ったのか、何故か秋吉に好意を寄せている。聞くところによれば普通に女の子が好きらしいのに、秋吉だけは例外なのだと彼は言っていた。
 因みに、そんな奴が居たら即座にいじめの対象か引かれて友達が居ない一人ぼっち君になってもおかしくはないのだが、幸いというのかこの学校はキャラの濃い人間が集まる傾向にあるらしく、そんな彼も何となく受け入れられている。高校生、という半分大人な年齢なのも要因の一つだろう。彼の人格は秋吉に好意を抱いている、という事以外はまともだからだ。
 そしてその間違いを隠そうとしない別宮は、堂々と秋吉に告白するという行事を作り出していた。初めは誰もが驚いたが、慣れてくれば、「ああまたやってるよ懲りねぇなぁ」ぐらいで、むしろ見物を楽しみだした。
「時や…」
「アキは黙ってろよー。コイツは俺が直ぐに片す」
「片すって、どういう事だね時山君!暴力か?暴力はいかんぞ!」
「うっぜー」
「言ってるそばから蹴らないでくれ!」
 ぎゃいぎゃい騒ぐ別宮に、更に笑顔で足を上げようとした時山だったが、
「時山」
 ぐ、と腕を掴まれ、動きを止めると秋吉を見下ろす。
「アキ…」
「やりすぎ。あんまり騒ぐと先生に怒られるぞ」
 苦笑いされ、むすっと黙り込んだ時山は、掴まれていた腕を放すと逆に秋吉の腕を取り方向転換をした。
「時山くーん、今日はおしまいなのー?」
 歩き出したところで隣教室の窓から見ていた女子に尋ねられ、時山は振り向いて、にかっと笑う。
「駄目だわー。アキに怒られちゃったもん」
「あらら、時山君てばアキ君に頭上がらないんだね」
「俺のマスターだし」
「時山君、ポケモン?」
「ぴっぴかちゅー」
 ふざけて舌を出すと、見ていた生徒達は楽しそうに声を上げた。
 別宮が告白し、時山がそれを遠ざけようとし、秋吉が止める。この流れが一連となっていて、生徒達のささやかな見世物なのだ。それに生徒だけでなく、一部の教師も知っていて、事の際には笑顔で見守っている。いじめではないと分かっているので、呑気なじゃれ合いぐらいに考えているのだろう。
「俺、こんなの捕まえた覚えないんだけど」
「あらやだヒッドーイ。秋吉君てば最初のパートナーの俺の事をそんな風に言うわけ!」
 しなを作ってオネエ口調で言う時山に、秋吉は呆れた風で溜息を落とす。そうしてふと視線の先で、立ち上がる別宮を目にした。
「あ、別宮…」
「時山君、僕は諦めないぞ!」
「…ああそう。明日もやる気か。そして俺に負ける気なのな」
 呟いた秋吉の声に振り向いた時山も別宮を見、宣戦布告よろしく言われた台詞に、笑顔で返す。うっと言葉に詰まる別宮に、時山はからから笑って、
「秋吉のポケモンの座は渡さねぇ!」
「意味が分かんねぇ…」
「時山君!僕は恋人の話をしているのだが!」
 どこまでも混ぜ返す時山に、別宮は叫ぶ。それにきょとんとして、時山は秋吉を見て、そして別宮に視線を戻す。
「それ、何で俺に言うわけ?」
「何故って…君がいつも邪魔をするから…」
 その答えに、時山は困ったような表情で言うのだ。わかってねぇなぁ。
「俺が邪魔してんのは、単に俺がお前の事嫌いで、アキが俺の親友だからだよ」
 余り爽やかに言うので、その場に居た全員が呆気に取られた。普段はそんな事言わない男が、こうもはっきり「嫌い」と口にするなんて、有り得ない事だからだ。秋吉ですらもぽかんとして、隣の時山を見上げていた。
「ま、そういう事だからさ。これってつまり不可抗力?」
「…あ、ああ…」
「行こーぜ、アキ」
「え、ああ、うん…」
 そしてぽんと肩を叩かれれば、秋吉は黙ってついていくしかない。去り際、ちらと別宮の方を見れば、未だにぼうっとして時山の背中を眺めていて、秋吉は何も言えずに時山の後を追った。

「時山、待てってば」
「あーもう、別宮に捕まった所為で昼休み減った…これじゃバスケしに行けねぇかな…」
「…、うん…」
 追い付いて隣に並べば、気付いた時山は歩調を緩める。答えを求めるでもなく呟く彼に、秋吉は困って頷く。
 時山が「嫌い」と発した事に、秋吉は驚いていた。それなりの付き合いだが、彼が人の好き嫌いを言ったところを見た事がなかったからだ。人好きのする人格で、誰にも訳隔てなく接する時山は、誰かを好きとか嫌いとか、言わないのだ。
 だから、ショック、という程でもないのだが、秋吉は驚いていた。時山も、誰かを嫌いなんていうのだと。
「…なーに暗い顔してんだよ、アキ」
 そして不意に目の前に現れた顔に、更に驚いて反射的に鼻先を殴ってしまう。
「って!おい、何すんだ!」
「あ、ご、ごめ…びっくりして、つい…」
 強い力ではなかったので、時山は笑って大丈夫だと返した。そして正気に戻った秋吉が辺りを見回せば、そこはいつの間にか外で、校内の池の前だった。
 何だかよく分からない建造物の多いこの学校だが、これもその内の一つで、小さいのだが池(水を循環させているところからすると、これも一応噴水の部類に入るのだろうか)が学校の敷地内の隅にある。周りを木々に囲まれた池の前には小さなベンチも設置してあって、夏場なんかは涼むのに最適だが、如何せん隠すかのようにしてある場所だ。知っている生徒は少なくて、しかも奥まった場所にある為、滅多に人が来ない。それをいい事に、秋吉と時山は冬場以外は毎日ここで弁当を食べている。
 「ちょっと秘密基地っぽいよな」と笑う時山をアホかと笑った秋吉だったが、実は少なからずそれに同意している。言わないけれど。
「…まぁ、いいや。メシ食おーぜ。俺もう腹減った…」
 時山が座るので、秋吉もその隣へ腰を下ろす。目の前の池の中心には、良く分からない像。石膏で造られている所為で形が崩れかけて、正直怖い。ああこれも人が来ない原因か、秋吉はぼんやり考えて弁当箱を開いた。
「…なぁ、時山」
「ん?」
「お前って、別宮の事嫌いだったの?」
 目を合わせれば、時山はきょとんとして、「何で?」聞き返してくる。
「何でって…さっき、言ってたじゃん」
「や、そーでなくて」
「え?」
「何でそんな事聞くんだ?」
「びっくりしたから。時山がそんな事言うなんて」
 何でじゃないと秋吉が勢いごむと、ああ、納得して時山は像の方へ視線を流した。秋吉がその横顔を見詰めていると、やがて時山は口を開く。とはいえ重い雰囲気ではなく、いつもと変わらない調子で。
「嫌い、じゃないぜ。別に」
「でもさっき…」
「だって、アキの事好きとか言うから」
 そこで目線を合わされて、秋吉はまたぽかんとした。それを気にせずに、時山は続ける。
「別宮の事は、割とどうでもいい…っていうと悪いか? でも、そうだ。悪い奴じゃないし、むしろいい奴だとも思える。だけど、アキの事好きとか言うのは許せないっつーか…」
 最後の方はぶつぶつと、呟くように言う時山に、秋吉は暫く瞬きをして、それからぷっと吹き出した。
「何だ、それ」
「笑うなよ…俺にとっては深刻だ」
「そんなの気にしなくても…俺、別宮に靡いたりしないよ」
「判ってる!大体俺が別宮に負ける訳無い」
「大した自信…の割に」
「だから、判ってるんだって、全部! …それでも、気にいらねぇだろ…ああいうのって」
 拗ねた様子で視線を外す時山に、くくっと笑った秋吉は、そっと手を重ねる。それに驚いてこちらを見た時山に、秋吉は笑いを噛み殺して微笑みかけた。
「…ヤキモチ」
「妬くだろ、普通」
「別宮に」
「悪いか」
「悪くない」
 くすくす笑って、秋吉は少し俯く。時山はむすっとして、重ねられた手を一度離し、指を絡めるようにして繋ぎ直した。
「面白くねーよ、アキ。アキはきっぱり拒絶しねーし」
「だって、ごめんって言っても聞かないんだ。でもまさか時山の事、言えないだろ?」
「言えばいいじゃん」
「言えるかよ。それこそ、“じゃあ何故時山君と付き合えて僕とは付き合えないんだ”とか言われそうだし」
「…それもそうか」
 はぁっと溜息を吐いて、時山はベンチの背に凭れて身体を下にずらす。木々の合間から覗く青空を眺め、らしくなく憂鬱そうに、更に溜息を零す。
「…面白くねぇな、アキ」
「そう?」
「そう。全然、面白くない」
「じゃあ、これ」
 ふっと影が出来て、秋吉の顔が覆い被さってくる。一瞬だけ唇が触れて、直ぐに離れてから、時山は慌てて身体を起こした。見れば面白そうに笑いを堪えている秋吉がいて、けれど時山はぱくぱくと口を開閉するだけ。
「あ、アキ…」
「間抜け面だよ、涼樹」
「だ、だって、今…」
 珍しい秋吉からの接触、それも不意打ちに赤くなっていると、秋吉は繋いだままの手に力を籠めて、微笑むのだ。
「…拗ねてるから。ごめんって。面白くないだろうけどさ、我慢して」
「………」
「俺は別宮がああ言って来るの、少し楽しいよ。あの時だけ、時山が真剣なんだもんな。悪いけど、ちょっと嬉しい」
 秋吉が俯いて、確かに嬉しそうに笑うので、時山は何も言えずに赤面した顔を空いた手で隠し、握った手に、更に力を籠めた。ぎゅっと。
「…渡さねぇ。渡せねぇわ、絶対」
「渡されないから大丈夫だって。ほら、食わないと時間無くなる」
「次、サボっていちゃいちゃしない?」
「…あんまり調子乗ると殴る」
「すみませんでした」
 そして、今日も平和に一日は過ぎていくのだ。