Act.04


「…おや、彼氏のお迎えだよ、アキちゃん」
 部長の台詞に、秋吉は部室の外へ目を向ける。ガラス戸の向こうで、へらっと笑った時山がひらひら手を振っていた。
「彼氏って…」
「だって、仲良いじゃないの、君たち。付き合ってるのかと思うぐらい」
「そう思うのは部長ぐらいだと思いますけど…」
「んなこたぁない!私の友達もそう言っているからねっ!」
 ポニーテールを揺らして人差し指を立てる先輩に、はぁ、曖昧な返事をする。藤森アイ、というアイドルみたいな名前の少女は高校三年、秋吉の二つ上の先輩で、演劇部部長である。男勝りでサバサバとした、中々豪快な性格をしているが、人好きのする人物で、悪い人ではない。
 ――悪い人ではない…が、しかし。実はオタク趣味があり、しかもその趣味というのが男同士の恋愛だったりするもので、日々あらぬ妄想をしては秋吉を困らせている。
 美少年の部類に入る秋吉と、タイプは違うがこれまた一応整った容姿の時山。「一目見たときから君は受けだと思ってたよ」とにやにやしていた藤森は、ある日時山が部活後に秋吉を迎えに来た時、正しく漫画のような反応をしたものだ。あれから暫くは大変だった。二人の関係はどうなんだ、とか、いつ知り合ったの、とか。質問攻めで秋吉は困り果てていたのに、時山が面白がってある事無い事言ってみるものだから(冗談のフリをして事実も言っていた)、藤森の妄想の中ではすっかり二人はできている、という事になっているらしかった。
 受けとか、攻めとか、訳もわからなかったのに、藤森の所為で秋吉はもうその単語に慣れてしまった。受けが女役、で攻めが男役、というのも知っている。何だかなあ、とても余計な知識を仕入れてしまったと秋吉は思う。
「友達、っていうと…何でしたっけ、サークル仲間の?」
「そうそう、良く覚えてたね!私の相方!」
「…そうですか」
 更に余計な知識なのだが、同人誌とか、サークルとか、そういった事も多少理解出来てしまう。藤森の相方、ことサークル仲間は田丸祥子(たまるよしこ)と言って、藤森と共通趣味で時山と秋吉をそういう目で見ている。「目の保養、です」とは田丸の弁だ。彼女は常に敬語で喋る。
「ともかく、待たせちゃ悪いね。入っておいで」
 言った藤森が手招きするので、外で突っ立っていた時山は軽く頭を下げて部室に入ってくる。
「ども、…ちょっと早かったですかね」
「いやいや、どうせ雑談してるだけだし。男バスこそ、今日は早めに終了?」
「ええ、主将が彼女と約束があるって…それでいいのかよって感じですけど」
「ユキもいい加減だからねぇ」
 男子バスケ部主将、花邑幸隆(はなむらゆきたか)は藤森の隣近所に住む幼馴染で、彼女とは仲がいい。藤森も黙っていれば美少女なので、女子人気の高い花邑と登下校する様子を見て付き合っているのではないか、という噂が立った事があるが、本人たちに全くその気はなく、「異性の親友」と口を揃えて言う。余りにはっきり言うので、周りもつまらなくなってあっさりとそれを認めた。
「しっかし…今度の彼女はどのぐらいもつのかな?」
「アイ先輩、主将に聞かれたら怒られますよ」
「まさか。だって本人も自覚ありだからね、…あたし達、賭けてんのよ?」
「賭け、って…自分でですか?」
「そ。一月もったらユキの勝ち、もたなかったらあたしの勝ち」
「…なんだか、彼女さんが不憫…」
「アキちゃんは優しいねぇ!」
 からりと笑って、藤森は秋吉の肩を叩く。
 花邑幸隆、彼もまた悪い人ではないのだが、その人の良さが逆に災いしてか、彼女が出来ても長続きしない。もてるのにもてない男、として有名な彼は彼女が出来る度に「今度は何日?」と友人達にからかわれる。そして当然、藤森もからかう。
「…でも、ユキは多少いい人卒業しないとね。じゃなきゃあ一生あのまんまだわ」
「彼女のために部活早く終わらせてるのはいい人ですか?」
「あはは、トキ君は厳しいねぇ」
「俺はバスケ好きっすから」
「ユキも好きなんだけどね、多分賭けの事気にしてるんじゃない」
 苦笑いで返し、ふと時計を見た藤森は、いっけね、呟く。余談だが、彼女の口調も時として男らしい。
「見たいテレビあるから帰ろう。アキちゃんも、トキ君来たから帰るよね?部室閉めてもいい?」
「あ、はい」
「アイ先輩、またアニメですか?」
「あ、ちょっとトキ君、それは差別的な言い方だね」
「まさか」
 二人してけらけらと笑って、ついて来られなくて無言の秋吉と共に部室を出る。サバサバした藤森とは気が合うのか、気付けば時山は演劇部員でもないのに、秋吉と同じぐらいかそれ以上に藤森と仲良くなっていた。
「あれは純粋に面白いよ。子供向けには勿体無いな」
「へぇ、アイ先輩が言うならいいんですかね?」
「今度漫画貸してあげる」
「あ、楽しみにしてます」
 鍵を掛け終えて振り向いた藤森に、時山は笑う。じゃああたしバスだから、そこで別れる藤森に手を振り、二人は自転車置き場の方へ歩き出した。
「…部長、時山の事、俺の彼氏だって」
「へぇ?」
「付き合ってるのかと思うぐらい仲がいい、だって」
「…実際付き合ってるとか言ったらどんな反応するんだろな」
「狂喜乱舞」
「…しそうだな」
 くくっと笑って、時山は秋吉の鞄を奪った。いいのに、と遠慮する秋吉を制して、これもトレーニング代わりなのだと時山は笑う。
「アキ、今日バスだっけ?」
「うん、朝自転車パンクしてたから…」
「よし、俺の後ろに乗るがいい!」
「うっわ、何でそんな尊大…」
「冗談じゃん」
 他愛も無い話に笑いながら、誰もいない自転車置き場で時山が自転車の籠に荷物を載せるのを眺める。先に乗れよ、と促されて荷台に近付くと、「あ、」時山が声を上げるので、何かあったのかと顔を上げると、掠めるように唇を奪われた。
「と…!」
 誰か見ていたらどうするんだ、と非難するより早く、何かが落ちる音。勿論、少し距離はあったが、自転車の横から。
 ――しまった、嫌な予感に二人が振り向けば、そこには荷物を取り落とす藤森の姿。
「あ、アイ先輩…」
「何でここに?」
「ごめ…さっき言ってた漫画、今日持ってたの思い出して、バス、時間余裕あったし、渡そうと思って…」
 らしくなく、しどろもどろに話す藤森に秋吉はこっそり時山の足を蹴る。悪い、流石に反省した様子で時山が声に出さず謝るが、見られた後では何にもならない。
「…本当に、そうだったの…?」
 やがて少し落ち着いたのか、藤森が顔を上げて尋ねてくる。ただの友人でキスはしないだろう、しかも口に。これは言い逃れ出来ないな、溜息を吐いた秋吉が口を開いた。時山は下手な事は言えない、と秋吉に任せている。
「…誰にも、言わないで下さいね?」
「やっ…やっぱり、そうなの?!」
「はい、ええと…少しこっちに来てくれますか?」
 大声で話せる事ではないからと呼ぶ秋吉に、藤森は荷物を拾い上げて近付いてきた。…心無し顔が笑っているが、見なかったことにしよう。
「…それで?」
「それで、も何も…まぁ、そういう事です…一応、俺と時山はそういう関係で…」
 それ以上何を説明しろというのか。はぁ、溜息を落とすと、時山が居心地悪げに重心をかけていた足を変える。藤森はぽかんとして、二人の顔を交互に見遣り、そして、
「…グッジョブ…!!」
 …最高の笑顔で親指を立てた。ああ内心で狂喜乱舞か、二人は同時にそう思って、先程の予想があながちというか外れではない事を知る。
「ああもう、一瞬妄想激しすぎて幻見たかと思った!でも本当にそうなんだ!」
 頬を紅潮させてはしゃぐ藤森に、秋吉はいっそ白を切ればよかったのか、少し後悔した。
「そっか、そっかぁ…! ああ詳しく話聞きたいけど、もう時間無いね…とりあえず、これっ。貸すね。じゃ、また!色々聞かせてもらうからね!」
 時山に漫画本数冊を押し付けると、藤森は走ってその場から去ってしまう。背景に花が飛んでいそうな様子に、「幸せそうな」、時山が呟いて、お前のおかげだよ、秋吉がちょっと冷たく返す。
「…でも、見られたのがアイ先輩で良かった…?」
「ある意味一番厄介な人に見られたとも思うけど。時山のアホ」
「…ごめん」
 真面目に謝る時山を他所に、憮然としたまま自転車の荷台に跨った秋吉はぽつりと呟いた。
「もう、一週間えっち禁止」
「え!」
「欲求不満は思う存分バスケで発散して下さい」
「ちょ、アキ!それは健全な男子高校生にはキツ…!」
「レッツゴー。馬車馬のように自転車を漕いで俺を早急に家まで送り届けて下さい」
 びしり、秋吉の指がまっすぐ前を指差す。もうここに居たくありません、冷たい目は時山を映さない。
「アキさん、それホント…」
「…聞こえましたか?馬車馬こと時山涼樹くん?」
 それでも秋吉の出した禁止令に時山が追い縋ると、秋吉はにこりと笑い、丁寧にそう告げた。…告げたので、時山はびくっと固まり、「…はい」とすごすご自転車に跨り漕ぎ始めた。

「…せめて三日にしない?」
「二週間に伸ばして欲しいか、馬車馬」
「すみませんでした…」
 悪足掻きは許されることがなく、それから一週間、いつになく真剣にバスケに打ち込む時山がいたとか、いなかったとか。