Act.01


「あれっ?何やってんだ?」
 忘れ物を取りにやって来た教室で同級生を見つけ、時山は声をあげた。
「授業課題のレポート。今日までだって言うから…」
「ふぅん」
 窓際の席で机に向かう彼の前の椅子に後ろ向きに座り、その手元を覗き込む。男の割に綺麗な字が紙面を埋めてゆくのは、何だか不思議な感じであった。
 ふとそれが、ぴたりと止まる。
「…見られてると、やりにくいんだけど…」
「えー、悪い。まぁ気にすんなよ。空気だと思ってさ」
「すっごい存在感の空気だね」
「だーから気にすんな、ってのに」
 ところで、と。話題を切り変えた時山は天井を仰ぎ見る。教室の半分だけが蛍光灯に照らされて、残りは切れている訳でも無いのに暗いまま。
「何で半分しか電気ついてねぇの?」
「いや、何か…落ち着かなくて…」
「根暗だなー、秋って」
「うるさいな」
 わしわしっと頭を掻き乱してくる時山の手を迷惑そうに退かして、秋吉は髪を整えた。秋吉、だから、愛称は秋。アキの方が判り易いかも知れない。
「演劇部員つかまえて根暗はないだろ」
「関係あるかぁ?」
「案外運動するし、ハードだし…腹筋割れるんだぞ」
「バスケ部員にそれで張り合うかなぁ」
「……筋肉バカ」
「うっせ。そーゆうのは柔道部とかに言え」
 話しながらも秋吉の手は止まらない。段々埋まってゆく空白を見つめ、時山はあと少し、もう少し…と心の中で唱えていた。
「言ってやろ」
「あ?」
 発せられた声に顔を上げるが、秋吉は手元に視線を落としたまま、しかし僅かに微笑んでいる。
「時山が筋肉バカって言ってたって、柔道部のやつらに」
「そりゃお前だろ!」
「知らないよ」
 クスクス笑う秋吉は、話を半分しか聞いてないように思う。何か書きながら話すなんて、器用な芸当は中々出来ないからだ。それに気づいて時山は、しばらく黙ることにした。このままでは終わらない。
「…まったく、よー…」
 席を立って、自分の机から単語帳を取り出して鞄につめる。これで当初の目的は果たした。元の場所に戻ると、秋吉はまだ手を動かしていた。先ほどよりも空白が増えているところを見ると、一度消したのだろう。話していた分、文章が支離滅裂だったのかも知れない。
 仕方なしに時山は、目の前の顔の観察に努めることにした。外は真っ暗だし、他に見るものがないから。知らなかった。秋吉は案外睫毛が長いことを。少し鬱陶しげな前髪に気を取られてしまうし、そんなにまじまじと顔を見ていなかったから。
(…影…出来そうなの…なー……)
 眼球が動くのに合わせて、小さく睫毛が震える。それが右端を見た辺りで止まったかと思えば秋吉が視線を上げ、ばちっと時山と目が合った。
 焦ったのは時山の方で、悪いことをしたわけでもないのにアとかエとか意味のない言葉を発する。
「…時山さ」
「はいっ?」
「…何、待ってんの?」
 俺のコト。傾いた顔に合わせて、髪が揺れる。
「んー…そう、かも」
「何それ」
「何だろね」
「何なんだよ」
 曖昧な答えに眉根を寄せる秋吉に、時山は苦笑して口を開いた。
「迷惑なら、帰るよ。邪魔?」
「いや、別に。終わったし。俺を待ってるんじゃないなら、帰ろうかなって」
「終わったのか?」
「うん。ホラ。ずっと見てるみたいだったから気づいてんのかと思った」
 向きを変えて差し出された、左半分に新聞記事を貼り付けたコピー用紙のもう半分は、先程見た小綺麗な字で埋められていた。
「へぇー、すげぇじゃん」
「まさか。提出ギリギリだし」
 それを取り上げて立ち上がるが、秋吉は気に留めず笑う。
「で、さ、アキ」
「うん?」
 机に戻したレポートをしまおうと伸ばした手を掴まれ、秋吉はぐっと窓へ押し付けられた。
「わっ!何す…」
「ちょっとやらしいことしよっか…」
「は…はぁ――!!!?――っ…」
 息を吐き出して、吸うと同時にぶつかるようにキスをしてくる唇。
「っ、ん、…」
 開けば侵入してくる舌を知っていて、秋吉は時山を許した。歯列を割って、生暖かい舌が秋吉のそれを捕らえる。背中をますます窓に押し付けられながら、きつく目を瞑ると目の前には時山の存在だけになった。彼が少し動くと影も動いて、安っぽい電灯の光が瞼を包む。
「…っは…」
 離れてゆく唇に目を開けると、時山の頭は自分の首筋へ埋まる。薄暗い室内で首やら鎖骨やらを辿られるのは、なんだかエロいと考えた。
「……とき…やま…」
「ん」
「やめて。寒いから…」
「もーちょい」
「抱きしめるくらいにしてくれ…」
 両手で制服の前を開き、そこに鼻先を突っ込む時山の頭をぐいっと押し返す。
「窓際って外から見えるから?」
「それもあるけど…」
 立った時山が勢いよくカーテンを引き、秋吉の頭上で束ねたまま、再び口付けてくる。
「やっぱ、寒いし…早く帰りたい…」
「ふぅん」
「人が来ても困るし」
「うん」
 他人事みたいに返事をする時山を見上げて秋吉は「だから、」と。
「帰ろう?」
「んで、帰りに俺ん家寄ってくれるんだ」
 なぁ、アキ。降る声が頬を撫でて、仕方がないからと秋吉は微笑む。
「秋吉…」
「うん」
「好きだ」
「うん…」
 知ってる。目を閉じて秋吉は、抱きしめてきた時山の背に手を這わせた。
「俺もだから…りょーき…」
「…知ってるって」
 笑い合って、2人は静かに身体を離した。